就職活動の面接は茶番か?
就職活動の面接では自己PRと称して自分がいかに優れた人間か、ということを面接官相手に説明します。
この面接のやりとりを”茶番”と感じてしまう人は少なくないのではないでしょうか。
かく言う自分もその一人。
学生時代面接で自己PRの途中で虚しくなって
「ふっ」
とか自分の自己PRを話しながら鼻で笑ってしまったこともある経歴の持ち主です。。。
自分の人生を決める大事な場面で何故そんなふうに考えてしまってたのか?
あの面接とその準備(に費やした若き日々の貴重な時間)は本当に茶番なのか。
当時から時間も経ったところで、客観的な視点から(ほんのちょっとの皮肉を交えて)当時を振り返ってみます。
なぜ茶番だと感じていたのか?
色々要素はあるけど、大きなのは以下の通り。
1. どの学生も同じようなことしゃべるのに、わざわざ言わせる意味あるの?(履歴書に書いてあることと同じこと話させられたり)
2. 評価基準の 「主体的に行動」、「リーダーシップを発揮」、などのキーワードがありつつも、それを露骨に出しすぎてはいけない、という本音と建前が入り混じった感じに胡散臭さを感じた。
3. そもそも説明させたところで、真偽を確かめようがない。
採用する側になった今からみても正直なところ「選考のプロセス」と言う意味では、
やっぱり茶番だよなー
と思ってしまう。
明らかにアウトな人を落とす足切り、最低限のプレゼン能力を測るにはいいと思うけどね。
ただ、採用すべき応募者を絞り込むと言うのには不十分。
応募者が恣意的に情報を曲げられるし、真偽を確かめるすべもない。
結果として、
それっぽいワードをちりばめつつ、そつなく話せた応募者が合格する
という状況になる。
就活生はその辺りの不条理さを飲み込んだ上で、選考に応募しなくてはいけない、というのが、当時の(おそらく今も)状況だった。
茶番な面接の対策は無意味か?
じゃあ、その準備に費やす時間が無意味か、というとそうでもない。
確かに、「選考のプロセス」としては、あまり意味がないかもしれない。
でも、自分の過去を振り返ったり、自分の価値観を理解するのは、自己理解という意味で非常に価値のある作業だと思う。
就職、転職、もっと言えば、自分の生き方のスタイルを決めていく、というプロセスにおいて、「自分をよく知っていること」はとても意義のあることだから。
なので、就職中の学生さんや転職を考えている人は、安心して(?)「面接の応答の準備=自分に関する情報の整理=自分を知ること」をしっかりやってほしい。
自分をよく知ることがどう役立つかはまた別の機会に。
ちなみに私が「自分を知ること」の大切さに気づくきっかけになったのは、下記書籍。
普段あまり意識しないことだったので勉強になりました。
また、面接の想定問答を整理しておく際には下記シリーズが参考になりました。
ではでは。