日本社会で耐えることが過度に美化される理由
日本社会に良くある価値観。
耐えること、我慢すること、自己犠牲の過度な美化。
なぜ、嫌なことで我慢しなくてはいけないのか。
なぜ、嫌なことを我慢し続けることが美しいのか。
なぜ、仕事を簡単に辞めちゃいけないのか。
なぜ、仕事を簡単に辞める人は無責任で、続ける奴が偉いのか。
これらは続ける以外に選択肢のない人たちが自分たちの、
勇気がなくて辞められない
という状況を美化、正当化するための主張だと思う。
本当は嫌だけど、お金のために嫌いや働いている、
でもそれを認めたくないから、
続けること、辞めないこと、嫌でも耐えることが美しいのだ
自分たちの耐えている姿は美しく、意義のあるものだ
と主張する。
こういう論理を検証するには極端なシチュエーションを考えてみるといい。
例えば、100億円持ってて(普通に暮らしていく限りは)お金のためには一生働く必要がない人がいたとして、
そんな人が、すごーくストレスたまる、不愉快な職場に、石の上にも…とか言って、3年も居なきゃいけない理由ってない。
鬱になるくらいストレスを抱えながら無理して続ける理由ってない。
もしお金あったら、やめても誰も文句言わないよね。
せいぜい、いいなーあの人は働かなくていいくらい経済的余裕があって。うらやましい。
って感じだと思う。
お金がある人は辞めてもよくて、お金がない人は辞めちゃいけないのなら、
それってつまりは、みんなお金のために続けてるってこと。
要はお金がなくなるのが怖いから辞められないだけ。
それを道徳的な話とごちゃ混ぜにして、あろうことか他人に押し付けるのは、本当にたちが悪い。
生活に必要なお金を稼ぐ、という経済的な点だけの話であれば、
仕事辞めようが何しようが、副業でもフリーランスでもして生活を維持できるくらいの収入を得られるようになればいい。
そういう新しい選択や新たな一歩を踏み出すのを恐れいる人たちが、自分たちが現状維持で今の場所にとどまるための正当化のために、続けることの美徳を説くのだろう。
でも経済的な論点と、道徳的な論点は全く別の話。
その2つを混ぜこぜに語り、人に押し付けるのはほんとーにタチが悪いよ。
というわけで、無理、自分に合ってない、と思ったら、さっさと辞めて、その代わりストレスに耐えることに使ってたエネルギーを、どうやって(できれば好きなことやって)生計立てていくか、ってことに注ぎ込もう。